日帰り登山部ブチョーです。
突然ですが、私のカラオケの十八番といえば「イヨマンテの夜」であります。
この歌がリリースされたのは1949年ですので、当然、ブチョーが生まれる前の話ですが、1982年に、テクノポップグループ、ヒカシューのボーカル、巻上公一先生が出したソロアルバム『民族の祭典』でカバーされ、日本の若者の一部に熱狂的なファンを生んだのです。
この特徴的なリズムを最初に聴いたときは私も衝撃を受けました。レコードのライナーノーツを見てみると作曲者名には”古関裕而”とありました。
昭和の当時はインターネットもほとんど普及していない時代だったので、物事を調べるためにはもっぱら図書館や書店で本を探すしかなかったのです。
古関裕而とは誰だ
そこから古関裕而のことを調べ始めると、膨大な数の作曲をしている大先生だとゆーことがわかりました。
軍歌、歌謡曲、応援歌、校歌、何でも来いのあらゆるジャンルの曲を作っています。
なかでもブチョーが感慨深く思ったのは、モスラの歌も古関裕而先生の作曲だったことです。
ザ・ピーナツが歌うモスラの歌は、保育園の時代からブチョーのアタマの中で鳴っている曲でした。
確かに、カラオケに行って、イヨマンテの夜とモスラの歌をメドレーで歌ってみるとまったく違和感がありません。
驚きのシンクロです。
そして先日、福島県の温泉に行ったおり、福島市内に古関裕而記念館があることを知り、行ってきました。
この記念館、入場料は無料です。
1Fは明るいラウンジになっていて、北欧家具の名作、ハンス・ウェグナーのYチェアに座れます。
んで、展示関連は2F。
撮影禁止なので、残念ながら写真はありません。
壁には古関裕而先生の手書きの楽譜がいくつも貼られています。
そのなかにはモスラの歌も。
カタカナでモスラの歌の歌詞が五線譜に鉛筆で書かれ、音符が並んでいます。
マニアはヨダレが出そうです。ドンガカサクヤームインドゥムーです。
展示室には、古関先生が作曲された膨大な曲の中から100曲が選ばれていて、その100曲のなかから好きな曲をボタンで自由に呼び出して聴くことができるブースもあります。
残念ながら、その100曲のなかにはモスラの歌はありませんでしたが、「イヨマンテの夜」や甲子園のあの名曲、『栄冠は君に輝く』が聴けます。
▲この編曲はいい感じでした
古関裕而記念館でみつけた「雷撃隊出動の歌」
さて。
昭和の頃の山岳部では、夜になると歌を歌うのが習わしでした。
最初は面食らいましたが、キョーレツなOBの指導のもと、いろんな歌を教えられました。
顧問の先生やOBのみなさまは酒飲んで酔っ払てるわけですが、高校生はシラフです。
でも、なんだか歌ってしまう環境が夜の山にはありました。
教えてもらったなかでも「穂高よさらば」という定番ソングがありまして、高校の修学旅行で飛騨地方に行ったとき、バスガイドさんも歌っていたので、この曲は山における特殊な曲ではなく、一般的に膾炙している歌なんだなと思った記憶があります。
ただ、調べてみると、この「穂高よさらば」は替え歌であり、原曲が存在していました。
その原曲は「雷撃隊出動の歌」です。
名前の通り、特攻隊をうたった軍歌であり、その作曲者もまた古関裕而先生であったことを、今回、福島の記念館へ行って知りました。
「穂高よさらば」の歌詞は
穂高よさらば 又来る日まで
奥穂に映ゆる あかね雲
返り見すれば 遠ざかる
まぶたに残る ジャンダルム
原曲の「雷撃隊出動の歌」の歌詞は
母艦よさらば 撃滅の
翼にはえる あかね雲
顧へりみ爲れば 遠ざかる
瞼に殘る 菊の花
なんとも。原曲は壮絶な歌詞です。そして、一部、原曲の言葉をそのまま残した替え歌の作り具合も絶妙です。
▼古関裕而記念館
日本の歌謡史そのものって感じの記念館でした。
そんなわけで、福島へ行かれたときはぜひ立ち寄ってみてください。
安達太良山も近いですし、もう少し足をのばせば磐梯山もあります。
んで、福島に行った際のお土産はこれでok。薄皮饅頭です。
つぶあんとこしあんがあります。