1000年以上前から続く古刹に突如現れたイケメン壁画
各方面で大きな話題を呼んでいます。
梅雨の晴れ間に新潟県燕市まで行って、官能空想絵巻(絵巻と言っても絵巻ではない)を拝観し、ついでに登山もやってきましたのでレポートします。
話題のお寺はここ。地図で確認してみてください。
国上寺は「こくじょうじ」と読みます。国上寺がある国上山は「くがみやま」と読みます。
新潟県燕市の国上寺に到着
国上寺は山のなかのお寺ですが、クルマで行けます。
駐車場も完備されていて、おみやげ屋さんもあります。
入口にある地図です。
イケメン官能絵巻があるのは、中央の本堂(阿弥陀堂)です。
看板に多角経営が見て取れます。
この坂を上ります。
まずはボケ封じとガン封じのお地蔵様です。
「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」と唱えます。
健康を願うたくさんの切実なお札がありました。
本堂手前にはペット霊園が完備されています。
いよいよ本堂です。
『イケメン偉人空想絵巻』とは。
コレが噂の本堂です。遠目にはかなり古い建築物のように見えます。
近寄ります。
まずは今回話題の絵巻のご紹介から。
この絵巻を描きあげた木村了子先生のサイン入り解説プレートです。
報道では、「イケメン官能絵巻」と呼ばれていることが多いですが、正しくは『イケメン偉人空想絵巻』です。
写真の内容をテキストにしました(↓)。
越後最古の古刹国上寺 謙信・義経・弁慶・良寛・酒呑童子 『イケメン偉人空想絵巻』
元明天皇和銅2年(709)に越後一の宮弥彦大神の託宣(神様の言い伝え)により建立さ れた、越後最古の古刺国上寺。弥彦神社の本地として崇められ、代々別当寺として古記に 分明されています。
格式としては、孝謙天皇より御守にて正一位を賜り、北海鎮護仏法最初の霊場として信心 のより所とされてきました。
国上寺はその長い歴史の中で、多くの歴史的偉人たちと縁をもっています。 古くは酒呑童子がこの寺の稚児でした。その後も、平泉へと逃げる道中、源義経と弁慶が 隠れ住んだと伝えられており、戦国の世では上杉謙信の祈願寺にもなりました。また、良 寛は敷地内にある五合産を終の住処として、亡くなるまで30年間暮らしました。
私は小さい頃より、とある空想をしながら過ごしてきました。 もし、国上寺に縁のある5人の偉人が同じ時代に生まれていたら、 もし、一堂に会したら、何を語り合い、どんな日常を過ごしただろうか。
5人全員で一緒に井戸水を浴びたのではないだろうか。良寛と酒呑童子が大親友になって いたのではなかろうか。相撲をとったら誰が勝つだろうか。 そんな空想を重ねながら国上寺の住職を勤めあげてきたのです。
最近は、若者のお寺離れが進んでいます。お寺に足を運ぶ機会と理由が無くなっているか らだと思います。昨年、日本ではじめてSNS の炎上供養サイトを立ちあげました。その サイトでは無料で炎上してしまったSNS の書き込みを供養することができます。仏教の 存在理由である心の救済を、いわば現代版に翻訳してみたのです。そしてこの度、世界的アーティストである木村了子先生とコラボレーションし、圧倒的な 画力とストーリー展開力をお借りして『イケメン偉人空想絵巻」を制作しました。私が小 さな頃から胸に抱いていた5人の物語が、ついに、息をのむ甘美な絵巻として実現した のです。
もしかしたら、歴史の長いお寺には現代的かつ過激すぎると思われる方もいらっしゃるか もしれません。あるいは挑戦的すぎると批判される方もいらっしゃるかもしれません。し かし、日本のお寺は、今のままでは衰退の一途をたどると思われます。全国のお寺が檀信 徒離れしている現在、古刹である当寺から新しいことに挑戦し、変わっていかないといけ ない、そう思ったのです。
どうぞご自由に写真を撮ってください。SNS上で意見を交わしてください。 国上寺が見てきた 1300年の歴史に想いを馳せていただき、この5人のイケメン偉人た ちのストーリーを自由に考えてみてください。
2020年4月には、12 年に一度の由緒ある御本尊のご開張が執り行われます。そのとき にまた、本寺でお会いできればこの上ない喜びです。国上寺 山田光哲
文化財の四周囲をぐるりとイケメン官能壁画が囲う
イケメン官能絵巻は、本堂の壁に固定されています。
特に入場料もとっていないので、本堂の周囲のオープンエアーな縁側(回廊)を土足のまま無料で鑑賞できます。
現在、国上寺は燕市にありますが、文化財に指定された当時は分水町という自治体でした。
国上寺にゆかりの偉人が紹介されています。
まず、良寛さま。書の達人でもあり清貧の僧だった良寛さまは実際、この国上寺に住んでいたことがありました。
良寛さまが暮らした「五合庵」と呼ばれる質素な建物もこの国上寺にあります(のちほど紹介します)。
ちなみに本堂の前にある良寛さまの像がこちら。
んで、次は源義経と武蔵坊弁慶。
この二人は平泉へ向かう途中に国上寺を訪れたと言われています。
さすが義経。超イケメンです。
一方の弁慶はワイルド。山伏アイテムがたまりません。
そして越後が誇る武将、上杉謙信。長髪です。
偉人のなかでも一番伝説的な存在、酒呑童子。この酒呑童子の出自については諸説あります。
では、4面のイケメン絵画を1つずつ見ていきます。
南面 御仏偉人群降臨之絵巻
本堂の正面が南面に当たります。
菩薩の迫力がスゴイです。菩薩さまって、男?
東面 龍乗遊戯之絵巻
この絵では、上杉謙信と義経が剣を交えています。
その一方で龍の上で遊ぶ二人。
西面 五鈷杵掛けの松 名手笛奏之絵巻
五鈷掛けの松(ごこかけのまつ)ってゆーのはコレです。
伝説の松です。
北面 露天風呂湯浴之絵巻
本堂の裏側が北面です。このイケメン官能絵巻の真髄とも言える絵がここにあります。
イケメン官能絵巻の国上寺の変更許可申請に行政側の審議会は不許可を答申
この国上寺のイケメン官能絵巻については、対象となった本堂が燕市の文化財に指定されていることから、国上寺側が現状変更許可申請を提出し、燕市教育委員会は燕市文化財調査審議会(幸田顕委員長・委員6人)にその可否を諮問し、注目されていました。
しかし、2019年の7月12日に開かれた燕市文化財調査審議会ではどうしても結論が出せず、7月18日に開かれた第2回で「不許可」と答申することが決まりました。
第1回は賛否両論があって意見を集約できず散会。引き続き第2回も討論したがやはり意見をまとめられず、判断は幸田委員長に一任すると決め、幸田委員長が申請を不許可と判断し、それを審議会の結論とした。
あとで答申書をまとめ、30日開かれる定例の教育委員会で遠藤浩教育長に答申する。それをふまえて教育委員会で許可申請の可否を決定する。審議会の存在理由からしても答申通り不許可と決まると思われる。
不許可になれば国上寺に原状回復を求める。国上寺では本尊の開帳が終わる来年5月までは撤去しない方針としており、仮に市教委が不許可と決め、国上寺が原状回復をしないとなると、今度は文化財指定の解除について審議会に諮問することになり、騒動の終結はまだまだ時間がかかりそうだ。
▲出典:県央ドットコム
その後結局、燕市教委は7月30日の定例会で、パネルの設置を不許可とすることに決定しました。
イケメン官能絵巻のパネルは文化財である建物の内側からネジで固定されているので、本堂の柱などを傷つける恐れがあるということです。
市教委は「若者に興味を持ってもらいたいという努力は評価できるが、市の文化財を傷つけることは認められない」としていて、国上寺とは平行線をたどっているのが2019年8月初旬の状況です。
国上寺のそのほかの挑戦
国上寺は、イケメン官能絵巻で話題になる前、2018年10月にネット上で話題になっていました。
それが「炎上供養」です。
この専用サイトに炎上した投稿をアップロードすれば、無料でお焚き上げをしていただけるとのことです。
ついでに国上山(313m)にのぼる
国上寺(こくじょうじ)の本堂の手前に国上山(くがみやま)の登山口があります。
速攻で登ります。
速攻で頂上到着。
山頂を経由して蛇崩まで行ってきました。
国上山からは、弥彦山の頂上を望むこともできます。
そしてもちろん日本海とそこに浮かぶ佐渡ヶ島。
んで、下山して五合庵に向かいます。
ここが良寛さまが住んでいた五合庵。
吊橋を渡って帰途に付きました。